2008年05月30日

母の家計簿

子供の頃、家は流行らない商店で貧乏だった。 母がパートに出て何とか生活できているよう程度の生活だ。
小学校、中学校は何とも思わなかったが、私は大学に進みたかった。美大に行って絵を描きたかったからだが、
進学資金など、どう考えても捻出できなかった。
毎日、昼・夕方のパートと掛け持ちで働き、くたくたになっている母親に、
「何で進学できないんだよ!子供の進学資金も出せないようじゃ親失格だぜ!」と言ったことがある。
母親は涙ぐみ何も言わなかった。その姿に我に返ったが、悔しさが邪魔をしてそのまま謝りもしなかった。

母親は事故で亡くなり、直接謝ることは出来なくなってしまった。 パートの帰りだった。過労だと思う。
葬式の後、母の部屋を整理していて家計簿とも取れるようなノートを見つけた。ギリギリの生活だった。
母親が自分のために使ったものなど何一つなかったが、私の進学のための貯金があった。
数百円の単位で毎月貯金してあった。私が怒鳴ったあたりから。パートの時間が増えていた。
後でわかった事だが、パートの勤務時間を頼み込んで増やしていたようだ。増えた分は全て貯金。。

私がバカだった。自分のことだけだった。母の笑った顔を最後に見たのはいつだった?
私は何一つ親孝行などしてない、母の死語は後悔の連続だった。
苦労ばかりかけて、自分のことばかり考えていた。なぜあんな事を言ったのか。
謝らなかったのか、謝りたい、心から母に謝りたかった。

そんな時、リアルな夢を見た。夢の中で母親は居間で座っていた。
母を見つけた私は、泣きながら母親に詫びた。何もしてやれないで、ひどい事を言って、ごめんと。
母親は私の手を握って、「謝らなくちゃいけないのはお母さんだから、、ごめんね」と言った。

結局私は大学には行けなかった。今は普通の会社員だ。暇を見つけては絵を描いて、描きあがった絵は仏壇に飾っている。
絵を好きになったのは、美大に行きたかったのは、子供の頃「上手に描けたね」と言ってくれた母の一言がきっかけだった。
それに気づいたから。今も、母の事を思うと自責の念で心が痛むけれど、その母のためにも頑張って生きていきたいと思う


posted by NET AGE at 09:35| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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