2009年06月12日

行き過ぎたジェンダーフリー

28 名前: 名無しさん@十周年 投稿日: 2009/06/12(金) 02:06:36 ID:OC7TK0ue0
「行き過ぎたジェンダーフリーに惑わされるな」
 那智 文江(民衆法廷陪審員 58歳 東京都)

 先日、バスに乗っていた時のことである。後方の座席から、学生と
思しき数名の男女の会話が聞こえてきた。どうやら女性の社会進出に
関する話題のようで、男女共同参画を推進するぺきこれからの社会を
担う若者たちが、そのような問題に高い関心と意識を持っている様子
が頼もしく感じられ、日本の将来に明るい展望を抱くことができた。
 ところが、そのうちに会話が奇妙な方向へ進み始めた。男子学生の
側が「女性の責任」や「女性の義務」と言い出したのだ。私は違和感
を覚えた。これまで「女性の権利」や「女性の自由」は、私も何度と
無く口にしたし耳にもしてきたが、「女性の責任」や「女性の義務」
といった言葉は、ついぞ聞いたことも無い。さらには、「男の権利」
や「男の自由」という言葉まで聞こえてきた。これもまた妙な話で、
「男の責務」や「男の責任」という言葉はあったが、「男の権利」や
「男の自由」という言葉は無かった筈である。
 これが暫く前に言われていた「行き過ぎたジェンダーフリー教育」
の結果だと、私にも理解することができた。男女平等とは男女が何も
かも一緒になるということではない。自由には責任が伴い、権利には
義務が伴う。つまり、自由と責任は等価であり、権利と義務も等価の
ものである。「二兎を追う者は一兎をも得ず」と言うように、自由と
責任を同時に得ることはできないし、権利と義務を同時に手に入れる
こともできない。男性は責任と義務を、女性は自由と権利を、互いに
異なるが同じ価値のものを各々が担って全うすることが、これまでの
社会の正しいあり方であったし、これからの男女共同参画社会でも、
それは変わらないのである。
 いまは混乱している男子学生も、社会の一員となって様々な経験を
積んでゆけば、自分に与えられた物の素晴らしい価値に気づくことが
できるだろう。若者たちの未来に幸あれ! 私は強くそう願った。


posted by NET AGE at 15:56| Comment(0) | 那智文江 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。